こんにちは、まさ です。
この原稿を書いている日は、2018年の3月9日金曜日です。
出勤して、今朝は防災訓練をしました。(三島市のシェイクアウト訓練)
そうです、あの日です。もうじき、3・11です。
その日を少し、回想してみようと思います…。
当時、私は東京のベンチャー企業で職場実習中でした。
私は2010年に大学を卒業したけれども無職でしたので、
就職活動の一環で中小企業庁の事業でのインターンをしていました。
その日の朝も普段と変わらない日常でした。
電車で山手線・恵比寿駅まで行き、そして駅に近い職場へと出勤しました。
昼食も普段通りに済ませ…
そして、2011年3月11日金曜日14時46分頃、地震が発生しました。
最初に揺れ始めたとき、周囲は「???」という状態でしたが、
私は咄嗟に机の下に隠れました。
たぶん、高校生までの静岡県の防災訓練が活きたのでしょう。
後日同僚からは、「あのときのまささんの動きは早かった。」と言われました。
さて、揺れがおさまりましたが、社長をはじめ同僚は何をすればよいのか分からない状況でした。
私もよく分かりませんでしたが、同僚から聞くところによると、
「向かいのビルが揺れに揺れていた…」とのことです。
私の体感では、震度3以上には感じました。
(震度3は多くの方が揺れを感じる程度らしい。戸棚がうるさくなる、とか…)
はじめの揺れから大きな揺れまでは時間を感じたので、震源は遠いかもしれない…。
社長「まささん、みんなビルの外に出ているけど、どうしたらいいかな…?」
まさ「とりあえず、ビルが倒壊しても困るから外に出ますか…。」
「余震でガラスが割れるかもしれないので、気をつけましょう。」
こうして非常口から脱出し、しばらく様子を伺いました。
余震があった記憶ですが、被害が出なかったので、
そのままオフィスに戻って仕事をしました。
同僚が外を見ると、オフィスワーカーが大勢歩いて移動しています。
同僚「まささん、俺たちも帰った方がいいかな…?」
まさ「この様子だと駅は混んでいるでしょうから、たぶん帰れないでしょうね。」
社長「今日は私が車で送るから、送って欲しい人は言って!」
まさ「(静岡県までは帰れそうにないな…)私は利用したことのあるネットカフェに泊ります。」
さて、17:00ごろまで仕事をした記憶ですが、
それでからは新宿のネットカフェまで歩いていきました。
どの道も人という人ばかりで、慣れた道もなかなか移動できません。
新宿のネットカフェに着いても、満室で利用できませんでした。
(それじゃあ、マイナーな個室ビデオ店にするか…)
と思って歩いていると、新宿高校の門の前で教職員が立っています。
話しを伺うと、避難場所として開放しているそうです。
(これはありがたい…!)
歩き疲れと寒さで、とりあえず座るところが欲しかったのです。
校舎内では、新宿高校の校長先生?が電車の復旧状況について放送されていました。
東海道線も復旧し、夜が明けました。
(たぶん、東京駅からでないと乗れそうにないな…)
どのように東京駅に移動したかはよく覚えていませんが、
たしか、地下鉄を利用したような記憶です。
東京駅でも電車は超混雑していました。すし詰め…でした。
品川駅でもホームには大勢いましたが、その方々はほとんど乗れませんでした。
なかなか出発しないので車内のマイク?のボタンを押して文句を言う方がいましたが、
車掌の説明ではそのボタンを押すと、アクセルに入れても電車が停止してしまう…とのことでした。
どうにかこうにか静岡県に帰ってきて、同居の祖母に言われたのは、
「どうせなら二度と帰ってこなくてもいいのに~ 汗」
以上、帰宅難民始末記でした。<(_ _)>
被災地の復興を祈っています。
がんばろう、日本